日本で採用を行うということは、1911年から絶えず築かれ続けてきた法的な構造物の中で事業を営むということです。私が仕事をともにする経営者の多くは、日本の雇用法を、予告期間、残業の上限、退職金の算定式といったコンプライアンス上のチェックリストとして扱っています。しかし、それぞれのルールがどこから来たのかを知れば、その意味はずっと明確になります。日本の労働法制は一度にまとめて設計されたものではありません。個々の社会的危機への対応として層を重ねるように築かれ、そのどの層も今日なお重要な役割を果たしています。
以下ではその歴史をたどり、それが採用、マネジメント、そして退職の進め方に実際にどのような意味を持つのかを考えます。

1911年:工場法 最初の線引き
日本初の労働法である工場法は、1911年に公布されました。女性や子どもが労働力の多くを占めていた紡績工場の労働環境への対応が、主な目的でした。ただし、実際に施行されたのは1916年のことです。雇用主側がコストと競争力への懸念から強く反対したためで、その後どの国であれ労働改革をめぐる議論を見てきた人には、聞き覚えのある主張でしょう。
この法律の適用範囲は限られていました。就業の最低年齢を12歳とし、年少者と女性の1日の労働時間を12時間までに制限し、月に少なくとも2日の休日を定め、午後10時から午前4時までの深夜業を禁止するというものです。1923年には規制がさらに強化され、最長労働時間が1時間短縮され、最低年齢は16歳に引き上げられました。現代の基準からすれば控えめな内容ですが、この法律は、それ以来日本の法制度から一度も消えることのなかった原則を確立しました。すなわち、雇用契約の内容にかかわらず、雇用主が労働者に求め得ることを国家が制限することには正当な利益がある、という原則です。
1947年:労働基準法 戦後のリセット
戦後、すべてが変わりました。連合国による占領下の改革の中で、日本は新憲法とともに1947年に労働基準法(労基法)を制定し、同法は今日も日本の雇用法の根幹をなしています。労基法は、労働時間、賃金、休息、労働安全衛生など全般にわたって最低基準を定めました。そして決定的に重要なのは、その規定の大半を、いかなる私的な契約によっても放棄できない強行的な最低基準としたことです。
これこそ、外資系の雇用主が最も一貫して過小評価している点です。日本では、当事者双方が何に合意しようとも、雇用契約で労基法を下回る条件を定めることは法的に認められません。1947年以降、同法は数十回にわたって改正されており、1980年代だけでも3回の改正が行われましたが、その中核となる構造は80年近く維持されてきました。
労基法と並行して、日本の裁判所は、法律そのものが明文で十分に定めていなかった法理を形成し始めました。解雇が有効であるためには「客観的に合理的な理由」があり、かつ「社会通念上相当」でなければならない、という法理です。これは立法ではなく、不当解雇をめぐる数十年にわたる判例の積み重ねから生まれたものです。最終的に2003年に法律に明文化され、現在は労働契約法第16条に置かれています。日本で事業を営む者にとって、この法理はおそらく日本の雇用法の中で最も影響の大きいものです。正当な理由がある場合でも解雇が実際に難しいのはこのためであり、一方的な解雇ではなく退職金を伴う交渉が実務上の標準となっているのもこのためです。
1985年:労働市場の開放 男女雇用機会均等法と労働者派遣法
1980年代半ばの日本は、二つの構造的な圧力に同時に直面していました。男女平等を求める労働運動と、「終身雇用」モデルが許す以上の柔軟性を求める雇用主です。同じ年に成立した二つの法律が、その両方に対応しました。
男女雇用機会均等法(1985年成立、1986年施行)は、採用、配置、昇進において男女の均等な取扱いを求めた、日本で初めての立法上の試みでした。欧米の同種の法律に比べれば弱く、長年にわたり、その実効性は罰則よりも指導や奨励に頼っていました。それでも、性別に基づく雇用条件は少なくとも原則として容認されないという法的な標識を打ち立てました。
同じ年、労働者派遣法が人材派遣会社(派遣)を合法化し、規制の対象としました。当初は限られた専門業務のみが対象でした。振り返ればこの法律の意味は極めて大きく、「終身雇用、一社勤続」モデルに入った亀裂となりました。その亀裂はその後30年で大きく広がり、やがて日本の巨大な非正規労働者層を生み出すことになります。この層は今日、日本の就業者全体の大きな割合を占めています。
2007〜2012年:労働契約法と5年ルール
2000年代に入ると、非正規雇用(有期契約、派遣労働者、パートタイム労働者)は、独自の法律を必要とするほどの規模に拡大していました。2007年の労働契約法は、前述の解雇基準を含め、雇用契約に関する諸原則を正式に法典化しました。
2012年の同法改正では、現在「5年ルール」として知られる仕組みが導入されました。契約が更新され、同一の雇用主のもとで通算5年を超えて働いた有期雇用の従業員は、無期雇用契約への転換を申し込む権利を得る、というものです。拡大する日本の契約社員層の不安定さを軽減することを目的としていました。
実際には、多くの雇用主が、転換権の発生を避けるために契約更新の上限を5年弱に設定するという対応をとりました。この回避策は今も広く見られ、有期雇用の人材に大きく依存する企業にとって、訴訟や評判上のリスクを生み続けています。
2018〜2019年:働き方改革 労働時間、残業、同一賃金
2018年に成立し、2019〜2020年にかけて段階的に施行された働き方改革関連法は、制定当初の労基法以来最大の見直しでした。同法は、今日の採用と人材マネジメントを今も方向づけている三つの変化をもたらしました。
第一に、残業に初めて法律上の厳格な上限を設けました。原則として月45時間・年720時間、特別な事情がある場合でも単月100時間を絶対的な上限とし、これを超えた雇用主には刑事罰が科されます。それ以前の残業の上限は、主に労使協定(よく知られた「36協定」)によって定められており、その実効性ははるかに緩やかなものでした。
第二に、同等の仕事をする正規雇用と非正規雇用の従業員の間に、同一労働同一賃金を導入しました。これは、1985年の派遣法が生み出す一因となった賃金格差を直接の対象とするものです。
第三に、従業員に少なくとも年5日の年次有給休暇を取得させることを義務づけました。法律上の付与日数は手厚いにもかかわらず、日本では取得率が一貫して低かったことへの対応です。
2025年以降:柔軟性、ケア、そして停滞した改革
直近の改正は2025年4月に施行され、小さな子どもを育てる従業員が残業の免除を請求できる権利を拡大するとともに、3歳未満の子を持つ親がリモートワークを利用できるよう雇用主に促しました。仕事と育児を両立しやすくすることで、日本の人口危機に対処しようとする幅広い政策の一環です。
2026年に向けては、より大規模な改革も検討されていました。14日以上の連続勤務の禁止、勤務間に11時間のインターバルの義務化、法的な「つながらない権利」を含む抜本的な見直し案です。この法案は、厚生労働省の提案と政府の規制緩和路線の間で板挟みとなり、当面は見送られています。しかし、法案が起草されたこと自体が、どこに圧力が高まっているかを物語っています。これらの考え方は、いずれまた浮上するでしょう。
この歴史は、今日日本で採用を行う組織にとって実際に何を意味するのか
115年にわたるこの立法の歴史には三つの流れが通底しており、それは今も実務において最も重要なものです。
第一に、個々の解雇に関する権利という次元では、法改正の方向は一貫して保護的であり、規制緩和に向かったことは一度もありません。1911年、1947年、2007年、2012年、2018年と、主要な改正はいずれも保護を拡充するか抜け穴を塞ぐものでした。人を解雇しやすくしたものは一つもありません。採用の失敗は修正可能なミスだという前提で日本の採用計画を立てているとすれば、法の歴史はそれを否定しています。採用の失敗を解消するには時間も費用もかかり、評判の面でも慎重な対応を要するため、日本における誤った採用のコストは、随意雇用の市場よりも構造的に高いのです。だからこそ、入口での選考基準、つまり面接プロセス、リファレンスチェック、職務との適合性は、解雇が容易な市場よりも日本で高く設定しなければなりません。
第二に、1985年の派遣法によって生まれ、2012年の5年ルールによって形づくられた非正規労働者層は、周辺的な問題ではありません。今では日本企業の人員配置の中核をなしており、それにまつわるコンプライアンス上の義務(無期転換権、同一賃金)は今も変化し続けています。日本で契約社員や派遣社員を活用する組織は、一度決めたら放置するような方針ではなく、勤続期間と無期転換の発生時期を常に把握しておく必要があります。
第三に、2018年の残業上限と2025年の育児関連の規定は、いずれも人材、とりわけ若手や女性の人材が、日本の雇用主に期待するものの実質的な変化を反映しています。法律の文言(月45時間)を守ることは、今や最低限の前提条件にすぎません。競争力の高い雇用主は、現行の最低基準を満たすだけでなく、法律が向かう方向を先取りしています。
これらはいずれも特殊なことではありません。一世紀以上にわたり、危機と改革を一つひとつ経ながら、労働者の保護と雇用主の柔軟性の均衡を図ってきた国の積み重ねの結果です。あるルールがどこから来たのかを理解することは、多くの場合、それがなぜ今もそのように機能しているのかを理解する最も早い道です。そしてそれは、日本では採用と人材に関する判断を最初から正しく行うことが、単なる良い実務ではなく法的な必然でもある理由を理解する道でもあります。